ミスター&イチローを超える伝説の”初代”安打製造機 榎本喜八って誰?
- 2016/3/3
- プロ野球
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「神の域」に踏み込んだ男、ついに殿堂入り
王貞治・長嶋茂雄・野村克也・稲尾和久… 伝説の名プレイヤーが勢揃いしていた時代の中で、誰しもから恐れられたもう一人のプレイヤーがいました。その選手とは、元大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の榎本喜八選手です。
その類まれなる打撃センスと理論で打率3割越えを6回、打率.351を達成した1966年のOPSは1.011を記録し、「安打製造機」の異名を最初に取った選手と言われています。そんな伝説の名プレイヤー榎本喜八選手についてまとめてみました。
最年少記録で2000本安打を達成
1000本安打・2000本安打の日本プロ野球最年少記録を保持しています。1000本安打達成は24歳9か月、2000本安打達成は31歳7か月。イチロー選手の1000本安打達成は25歳4か月。イチロー選手と比べてみても、その凄さが際立ちます。
高卒1年目の開幕戦に5番打者としてデビュー。高卒新人として開幕戦のクリーンナップを任されたのは2リーグ制以降、榎本選手たった一人です。
139試合 592打席 490打数 146安打 24二塁打 7三塁打 84得点 87四球 5敬遠 5犠飛 出塁率.414は高卒新人の歴代最高の数字となっており、打率.298 67打点 232塁打 10死球も清原和博選手に破られるまでは歴代最高記録でした。驚異のミート力を誇り、1964年は641打席に立って三振はわずか19でした。
山内一弘選手・田宮謙二郎選手・葛城隆男選手らと共に「大毎ミサイル打線」の一翼を担いました。
「”神の域”にいかせていただきました」
「究極の打撃」を追い求め続けた安打製造機・榎本喜八選手が、打撃の真髄に触れた期間があります。
1963年7月7日に行われた阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の米田哲也選手との対戦で、自分の身体の動きが寸分の狂いもなく認識でき、どのコースにどんな球種が来るか手に取るようにわかる感覚を体験したそうです。榎本選手はその感覚を以下のようにコメントしています。
「野球の神様から“神の域”に到達する機会を与えていただいたんですよ」
「臍下丹田に、自分のバッティングフォームが映るようになったんです。ちょうどタライに張った水に、お月さんがきれいに映る感じ。寸分の狂いもなく、自分の姿が映って、どんなふうに動いているのかまでよくわかった。ボールがバットに当たった瞬間から、バットに乗っていくところもよくわかった。すると、どんなボールに対しても、自分の思い通りに打てちゃう。それまでは、タイミングは合った、狂ったと一喜一憂してたけど、この時期は相手とのタイミングがなくなったんですよ。最初からタイミングがないから、タイミングも狂わない。だから、打席で迷うこともなくなったんです」
「神の域」7月7日から8月1日までの成績
19試合 打率.411(73打数30安打)
さらに、7月14日からの11試合に絞ると、打率.558(43打数24安打)を記録し、4安打2試合・3安打2試合・2安打4試合という驚異の固め打ちを披露しました。また、アウトになった打球も全てバットの芯でとらえた完璧な当たりだったと言います。
名捕手 野村克也もお手上げ!抜群の選球眼
通算1062四球はパリーグ歴代5位の記録であり、野村克也氏もその選球眼には、
「榎本ほど選球眼の良い選手を私は見たことがない。ボール球に手を出さないのは勿論のこと、苦手なコースというものも殆どないのだから、捕手としてはお手上げである」
と絶賛しています。また、榎本選手のバッティングを絶賛する声は数多く挙がっています。
「首位打者を一騎打ちで争って負けたのは榎本さんだけだった。」
「左打者の理想は榎本さん。教科書になるフォーム。ほとんど動かない。体も開かない」張本勲氏
「バットコントロールが素晴らしく、あれだけの打撃の名人はいなかった」
「バッターとしての完成度は王より榎本の方が上」荒川博氏(王貞治氏を指導した打撃コーチ)
「今までに見たバッターの中で一番”正確な”バッターは誰かと聞かれ場、躊躇なく榎本と言うな。」西本幸雄氏
「長嶋を超える唯一の天才」川上哲治氏
打撃の”エキスパート”として、2016年殿堂入り
榎本選手は2016年にエキスパート部門にて殿堂入りを果たしました。超人的なエピソードやレジェンドも羨む技術をもった往年の名選手はまだまだたくさんいます。
あなたも野球界の歴史を紐解いてみてはいかがでしょうか。
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