もしあの時あの選手がメジャー挑戦していたら?メジャー行きの話があった選手たちで”もしも”を考えてみた
- 2016/11/27
- プロ野球
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ミスター、大野、野村謙二郎… 球界は大きく変わっていた?!
「メジャー挑戦」が日本人選手の選択肢に上がるようになった現在。2016年の日本人メジャーリーガーは16人。今後も増えていくでしょう。しかし、「メジャー挑戦」という言葉が定着する前から、実はメジャー行きの可能性を秘めていた選手はいました。
今回は、具体的な話にも上がり、メジャー行きの可能性のあった選手、もしその選手がメジャーに行っていたらどうなっていたか?考えていきたいと思います。
大野豊
1993年、カープで活躍していた大野投手に、カリフォルニア・エンゼルスから正式なオファーが届きました。
- 年俸100万ドル
- 専従通訳と住宅付き
- 1年間のレンタル契約
- 代わりの外国人選手を広島に一人紹介する
という破格の内容から、評価の高さがうかがえます。しかし、大野選手はこのシーズンで38歳、年齢を理由にこれを断り、話は流れました。
メジャーリーグに挑戦する日本人選手はいても、メジャー球団から日本の現役選手に誘いが掛かることは当時は異例でした。現在、高い評価を受けている日本人投手。もしも大野投手がここでメジャー挑戦し、活躍を収めていたら、当時の若手投手も注目され、多くの日本人投手のメジャー挑戦は早まっていたかもしれません。
山本和行
1971年ドラフト1位で阪神に入団したサウスポー。フォークボールを武器にリリーフとして活躍しました。1984年阪神がハワイでキャンプを行った際に、メジャー関係者から声をかけられ、挑戦を決意します。ドジャースに移籍も決まり、住む家も背番号も決まっていたが、当時FA制度はなく保有権の問題で引っかかり、断念することになりました。
当時は「メジャー挑戦」という発想も薄かった時代、契約周りでのトラブルは他でもあったようです。この時、メジャー球団に声をかけられ、移籍という事例ができていたら、スター選手だけでなく、メジャーへの志を持ち、実力を認められた選手にはメジャーの挑戦権を手にすることができるという時代が、30年以上前から来ていたでしょう。