25年間ありがとう!横浜一筋『ハマの番長』三浦大輔のシビれる男気が溢れ出るエピソード集
- 2016/9/29
- プロ野球
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ついに引退!25年間横浜を支えたエース
「ハマの番長」の愛称でベイスターズファンに慕われ、長年エースとして活躍してきた三浦大輔投手。 今シーズン限りで25年のプロ野球生活に幕を下ろすことを発表しました。一度も移籍することなく横浜のエースであり続けた25年間。そんな三浦大輔投手の選手生活を振り返ります。
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無名投手が「ハマの番長」になるまで
- 高校時代は奈良の高田商業高校の野球部に在籍。2年時はコールド負けも経験する。
3年時は春・夏ともに決勝まで進むも、強豪・天理高校に一歩及ばず。甲子園出場することは出来なかった。
1991年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから6位指名を受け、プロ入り。決して華々しいキャリアを持ってプロの道へ進んだ訳ではなかった。 - 結果を出せないのは、出身校でも、起用しない首脳陣でもなく、自分の責任。人より実力が劣るからこそ練習するしかないのだ。
- 徐々に頭角を現したのは6年目の1997年。10勝3敗と初の二桁勝利を達成するとともに、リーグ最高勝率を記録。
- 翌年の1998年、背番号を「18」に変更します。この年、自己最多となる12勝をマークし、先発の中心として活躍。チームもマシンガン打線と言われた強力打線も武器に、38年ぶりのリーグ優勝・日本一に輝く。
- アテネオリンピックでは日本代表に選出され、銅メダルを獲得。
- 2005年は、12勝を挙げ、最優秀防御率・最多奪三振の二冠に輝くなど、キャリアハイのシーズンに。
- 2007年、35イニング連続無失点の球団記録をマーク。
- プロ2年目から昨シーズンまでの25年連続勝利。通算172勝を全てベイスターズで挙げている。
- 横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズの3球団に在籍した唯一の選手。
「違う球団ならもっと勝てたとかはないです。俺は横浜の三浦大輔だから」
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投手としての顔
- 多彩な変化球と通算与四球率通算与四球率2.43という抜群の制球力を武器に、打者を打ち取る技巧派投手。しかし、最多奪三振のタイトルを獲得したこともあり、奪三振能力も兼ね備えている。
- 90キロ以下の超スローカーブも球種の一つ。2012年のオールスターでは計測不能の山なりの超スローカーブを披露し、観客を沸かせた。
- ベテランになってからも進化し続けるスタミナを持つ。本人曰く、日頃走れるうちはスタミナも衰えず、年を重ねても自分のピッチングが続けられるとのこと。その発言の通り、23年目の今季も巨人相手に1失点無四球完投勝利を挙げた。現役最多の通算16回の無四球完投勝利を誇る。
- 2段モーションの投球フォームの代表格であったが、2006年にボークに関する規定が厳格化し、投球フォームの変更を余儀なくされる。しかし、フォーム変更後も変わらぬ活躍を続ける。
- 2013年3月、投手兼任コーチに就任する。しかし、中畑監督の若手へ期待したいという発言に対して、次のような一言を残す。闘争心は40歳を超えても衰えるところを知らない。
(兼任)コーチの立場ではみんな頑張ってほしいけど、あのメンバーでオレが一番(先発を)取りたいと思っている。
- 2016年7月の中日戦、先発登板した三浦投手は一軍公式戦通算122本目の安打を放ち、一軍公式戦24年連続安打(野手を含めた NPB歴代4位タイ記録)を達成しました。さらに、この記録は「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録に認定されました。
- 2016年までに通算7回、開幕戦の先発投手を務めているますが、三浦投手は7連敗しており、これはNPB記録です。
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