3年間で結果を出す!育成契約から這い上がった5人の選手
- 2016/7/8
- プロ野球
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新人王・侍ジャパン入り・次世代のエース候補も
今や、球団の顔にもなっている巨人の山口選手やロッテの西野選手。この選手達は元々育成契約でした。そこで、育成契約から這い上がり、レギュラー級になった選手達を紹介したいと思います。
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山口鉄也 (横浜商業高校→米マイナー→巨人) 2005年育成ドラフト1位
- 横浜商業高卒業後にメジャーリーグの日本人代理人から「テストを受けてみないか」と声をかけられ、渡米。プロ志望でしたが、プロから声はかかりませんでした。その後、アリゾナでテストを受け合格し、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのルーキーリーグで4年間プレーしました。
- 帰国後、2005年に巨人の入団テストに合格。同年の育成ドラフトで指名され、育成選手として巨人に入団しました。プロ入り前は、時給800円のコンビニでバイトをして、生活費の足しにしていました。
- 2006年オフに工藤公康氏に費用を負担してもらい、渡米。さらに、工藤氏からリズム、バランス、股関節の使い方を伝授され、恵まれた身体を野球で生かす方法を教わり、飛躍しました。2007年に支配下登録され、すぐに初勝利を挙げました。これが、巨人で育成選手で初めて勝利した瞬間でした。それからは貴重な左の中継ぎとして大活躍し、2009年オフに1億円の大台を達成しました。
西野勇士 (新湊高→ロッテ) 2008年 育成ドラフト5位
- 高校時代から進路はプロ一本に絞っており、千葉ロッテから育成5位指名を受けました。2009年から2012年までにイースタンリーグで40試合に登板し、2勝7敗、防御率3.37の記録を残し、2012年秋に晴れて支配下登録を果たしました。
- 2013年4月8日の楽天戦で初先発初勝利を挙げ、育成選手が初先発を白星を挙げる史上初の快挙を成し遂げました。2014年にクローザーの益田直也選手が離脱し、代わりにクローザーを務め活躍。リーグ3位の31セーブを記録しました。日本代表にも選出され、2014年の日米野球で、日米野球史上初の継投ノーヒットノーランを達成しました。
- なぜこれほどまでに成長したのか。その理由として、イースタンリーグで登板を重ねる中で、高校時代から投げていたフォークを直球と同じ腕の振りで放れるようになったこと。カーブに磨きをかけたことで投球の幅が広がり、ストレート、カーブ、スライダー、フォークの4球種を高い精度で投げれるようになったことが挙げられるでしょう。
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松本哲也 (専修大→巨人) 2006年育成ドラフト3位
- 専修大では4年時に主将としてチームを引っ張り、9季ぶりの1部復帰に貢献し、2006年のドラフトで育成3位で巨人に入団しました。
- 2007年の春季キャンプで巨人選手初となる支配下登録を果たし、2008年に1軍初出場。しかし、この年は右くるぶしを剥離骨折し怪我に悩まされ、その後の昇格はありませんでした。イースタンリーグでは10盗塁をマークし、脚で存在感を放ちました。
- 2009年にWBCメンバーであった亀井義行選手の代わりにスタメンとして多く出場し、日本代表との強化試合ではイチロー選手のヒット性の当たりをダイビングキャッチし活躍。結果、初の開幕一軍を果たしました、規定打席には届きませんでしたが、育成選手初となるゴールデングラブ賞と育成出身野手初の新人王を獲得しました。
千賀滉大 (蒲郡高→ソフトバンク) 2010年育成ドラフト4位
- 蒲郡高から育成4位でソフトバンクから指名を受けました。当時は無名の選手で、愛知県のスポーツショップ経営者からの勧めで、ソフトバンクから指名に至りました。
- 2012年に春季キャンプの紅白戦で好成績を残し、1軍に抜擢されるもオープン戦で左足首をひねり緊急降板。開幕を2軍で迎えましたが、先発ローテに食い込むほど好調だったのもあり、4月23日に支配下登録を勝ち取りました。
- 2013年には、主に中継ぎで起用され、救援投手による公式戦連続無失点イニング(34回⅓)のパリーグタイ記録を樹立。オフには先発への再転向を訴えています。2016年、工藤監督は投手陣の競争に勝ち抜くことを条件に、1軍の先発陣に組み込むことを明言しました。
砂田毅樹 (明桜高→DeNA) 2013年育成ドラフト1位
- 明桜高校時代から頭角を現し、3年夏の秋田大会では準々決勝で散るも、25イニング1失点、40奪三振の好投を見せ、一躍プロ注目左腕となりました。左腕の層を厚くしたい横浜DeNAから育成1位で指名されました。
- 1年目からファームで好投を重ね、頭角を現します。2年目の6月7日に支配下登録を勝ち取り、7月8日の広島戦で1軍初勝利を挙げ、育成選手出身の10代の投手が勝利を挙げたのは史上初の快挙でした。そして、チームとしても先発左腕に勝ちがついたのは1年11ヶ月ぶりで先発左腕不足に悩むチームを砂田選手が救いました。
- プロ初勝利後のインタビューでは「結果を出さなければ話にならない」と話し、若くして、ハングリー精神とプロ意識を強く持っている選手。将来が楽しみです。
3年間という限られた時間で1軍の主力に這い上がった雑草魂
育成選手は支配下選手とは違い、原則2軍、3軍のみの出場で1軍の試合には出ることができません。年俸は240万と多いとは言えません。さらに、契約期間は3年間で3年を過ぎると自由契約選手となります。それからの契約もありますが、1年契約となるので育成選手は1日でも早く、支配下登録を勝ち取らなければいけない厳しい環境です。
その厳しい環境から這い上がった5選手は今や、1軍の主力として活躍しています。育成ドラフトで後がないからこそ、力を発揮する選手はこの先も出てくるでしょう。ドラフトだけでなく育成ドラフトにも注目です!
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