これぞ名将!選手の力を引き出す木内マジック〜取手ニ&常総学院 木内監督の名言集
- 2016/5/10
- 高校野球
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甲子園出場22回 通算40勝
茨城の取手ニ高と常総学院を率いて通算3度の全国優勝に導き、歴代6位となる甲子園40勝をマーク。仁志敏久氏や島田直也氏、坂克彦選手らを指導してきました。
今回は、茨城の高校野球を押し上げた遅咲きの名将 木内幸男氏の名言から、選手の個性を上手く活かす木内マジックに迫ります。
甲子園に「行きたい」と「行く」とは大違い。
上の子を伸ばすことより、下の子の底上げをしてやれ。
練習は、あらゆる場面を想定しないと意味がない。
教えるときは、喜怒哀楽をはっきり表に出して指導せよ。
ダメなやつにはダメと言ってやるのが親切というものだ。
好きな野球ができれば、給料なんかいくらでもいい。
悟りきったやつより、泣き、笑い、叫ぶやつのほうが伸びる。
プライドを持たせれば、放っておいても努力する。
甲子園は最高の卒業式会場。
一球のエラーから始まった監督人生
木内氏の監督人生を決定づけたのは、自身の土浦一高時代のエラーでした。このエラーがなかったら、木内氏の人生は全く違ったものだったでしょう。
昭和25年夏の茨城県大会、9回裏2アウト1.2塁。3-2で土浦一高がリードもサヨナラのピンチを迎えます。木内氏はキャプテンでセンターでした。左中間に飛んだ飛球にグラブが触りながらも後逸し、サヨナラ負けを喫しました。このエラーで、木内氏は母校の野球部に借りを作ってしまったと思い、引退後は、土浦一高のコーチとして残りました。これが50年以上に上る監督人生の始まりでした。
21歳で取手ニの監督に就任してから、悲願の甲子園初出場を果たすのは、21年後の昭和52年のことでした。それまで水戸商、水戸一、日立一などの名門校の厚い壁が立ち塞がり、甲子園まであと一歩のところで涙をのみ続けました。
木内マジックは、木内監督が編み出した野球で個々の選手の特性を見いだし、それが公式戦に一度も出場したことがない選手だとしても状況によって起用する、思い切った采配が特徴的です。この起用が度々成功してきたのは、長年負け続けて苦労し培った観察眼があるからでした。周りは木内マジック、奇策などと言いますが、監督本人にとっては当たり前の起用だったのです。
プロでも滅多に見ないワンポイント継投でKKコンビのPL学園を撃破
木内監督率いる取手ニは、1984年夏の甲子園決勝で史上最強とも言われているKKコンビのPL学園と対戦しました。4-3の1点リードで迎えた9回裏、エースの石田文樹投手は先頭打者の清水哲選手に同点ホームランを浴び、続く松本康弘に死球を与えてしまい、サヨナラのランナーを出してしまいます。ここで取手ニは投手交代。石田投手はライトに、控えの柏葉勝己投手がマウンドに上がりました。同点に追いつかれ、さらにサヨナラのランナーを出してしまい、泣きそうな表情でライトに入った石田投手。
しかし木内監督はライトに下げられた石田選手のみを見つめていました。続く打者が犠牲バント失敗し、その瞬間ライトの石田投手が万歳し小躍りしていました。ライトに下げられた石田投手の変化を見逃さなかった木内監督。
木内監督はすかさず決断し、石田投手を再びマウンドに上げて、続く4番清原選手、5番桑田選手を打ち取りました。その後中嶋選手の3ランなどで取手ニが4点を勝ち越し、夏連覇を狙うPL学園を破って初優勝を飾りました。
超高校級右腕ダルビッシュ投手を強気の姿勢で攻めて、初優勝を遂げた木内常総
2003年夏の甲子園決勝。この夏限りで勇退が決まっていた木内監督率いる常総学院はダルビッシュ有投手擁する東北と対戦しました。
ダルビッシュ君が途中から出てきたら打てない。最初から出てきてくれたらチャンスはある。
そう見ていた木内監督。東北の先発はダルビッシュ投手で、木内監督の思惑通りでした。それまで、小技や機動力で勝ってきた常総学院でしたが、
ダルビッシュから打ったら、自慢できるっぺ。
と選手達に火を付け、ダルビッシュ投手から4点を奪い、悲願の夏の甲子園初優勝を飾りました。
甲子園は飯島が良くないと勝てないよ、誰か飯島を復活させろ。
投手陣も控え投手の下手投げ右腕 飯島投手に奮起を促し、夏の甲子園決勝で好投。「神様仏様飯島様」と言わせしめました。
木内監督はこの年で、花道を飾り勇退したものの、2007年秋に復帰し、その後4年間で2度甲子園に出場。2011年の夏の茨城県大会準決勝で藤代に敗れ、ニ度目の勇退で監督人生に幕を降ろしました。
木内野球を継承した佐々木力監督
2011年8月、常総学院野球部の座は木内幸男氏から佐々木力氏に引き継がれました。佐々木新監督は1984年夏の甲子園で取手ニで全国優勝した時の二塁手で、日体大を経て1991年に常総学院のコーチに就任。長年、木内監督の右腕として木内監督を支えており、佐々木新監督就任は自然な流れでした。
佐々木監督就任翌年の2012年夏から3季連続甲子園出場し、2度ベスト8まで勝ち進みました。
木内野球が80%、残りの20%が新しい野球だと思っています。甲子園上位校の野球を見て、また部長、コーチ、スタッフからいろいろな話を聞いて、近代野球を取り入れています。
佐々木監督はこのように話し、相手のいいところもどんどん取り入れ、アップデートを重ねています。伝統を受け継ぎ、自分の色を加え木内野球を深めていく佐々木マジックのこれからに目が離せません!
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